しがみつくダサい経営者の生き方
『しがみつき人生』という言葉を聞いて皆さんはどう思いますか。
お金はあればあるだけ良い
良いクルマ
良い家
良いオフィス
良い人間関係
全てを手にすることは可能なのでしょうか。
それより以前に手にする必要があるのでしょうか。
➡︎お金がついてくる人とお金がついてこない人の大きな違いは何か
経営者がしがみついて生きる理由
経営者は政治家と似ている部分があります。
勇退退職をせず、会社に籍を置き続けることです。
まさに日本の政治家も同じでそろそろもう良いでしょう?と言いたくなる政治家がハラスメントなどでモラル欠如な言い訳をしてしがみついています。
それは結局、自分の存在を誰かに見てほしいからだと思っています。
社長や会長、顧問からタダの人間になった時の時間の過ごし方や生き方がわからないのです。
『老害 経営者』は今にしがみついて離れない
「老害 経営者』は今にしがみつき問題」とは、新しいアイディアや変革への拒否感や、古い概念に執着し実質的に『邪魔』をすることを指します。
この問題にはいくつかの側面があり、古いアイディアやビジョンに執着する経営者は、業界や市場の変化に対応できず、新しい流れに取り残される可能性があります。
しかし、権威主義的な経営スタイルを取る経営者は、自身の経験や見解を絶対視し、新しいアイディアやメンバーの意見を十分に取り入れません。
自分の居場所を死守してしがみつき、若者の可能性を踏み潰すのです。
テクノロジーの進化やデジタル化への関心度や急速な変化が求められる現代のビジネス環境で機会を見逃すことになります。
ラグジュアリーや高級で埋められるモノとは?
お金を持つと必然的に生活水準が上がり、当たり前に人より待遇やホスピタリティに慣れが生じます。
いつもは一流ホテルなのに、偶然ビジネスホテルしかないところに滞在したとして、ビジネスホテルに不満を感じストレスを感じるでしょう。
その慣れは結局自分の行動範囲を狭くして選択肢を減らしていることにつながっているとも考えられませんか。
一方で私たちは今資本以外にもサバイバルのような環境で生活しています。
つまり順応できる幅を広くしておく方が賢明なのに矛盾しているのです。
ぶら下がる金持ち経営者は嫌われる
会員制クラブ、ゴルフの会員、連合会などお金を持つ人が所属する組織
格差社会と言われる中でどれだけ名門のゴルフ倶楽部だろうと会員制のクラブであろうと上下関係は存在します。
「〇〇さんが来られているから私たちはこっちにしよう」自然な流れです。
しかし、「俺の席は空けておかなければならない!」と言い始めた時にはその経営者の末路が見えてきます。
仮にお金があってビジネスに成功したとしても、ぶら下がった時点で人間としての限界に到達しているのです。
皆に道を開けてもらうのと、
自分で皆をどかすのとは、雲泥の差があるのです。
没落する経営者の生き方
お金をいくらもっても結局ひとりになってしまう。
他のライターも経営者は孤独であるというタイトルを書いていましたが、メンタル的に本心を述べられないから孤独感を感じるのではなく、今の地位を守りたいからと意固地になるから孤独になっているお金持ちが多いのです。
おおらかに生きる道を探す
怒りという感情は生きていて、押し殺すことはできません。
必ず喜怒哀楽はどんな生活をしていても沸々と湧いてきます。
つまり、お金を持ったり、地位を確立した経営者はおおらかに生きる努力をしないといけないのです。
若造のため、格下のために気を使うなんて不愉快極まりない。
そんな風に感じる時点で今自分という人間の謙虚さは皆無になっていると考えるべきでしょう。
社会の縮図は永遠
自分が経営者としてどれだけ権威を持ち、経済に影響を与える人物になったとしても、日本の財務大臣や総理大臣には勝てません。
権限の大きさが違うからです。
そして、自分がそこまでの経営者でなくとも、自分より格上が隣にいれば譲りたくなくとも席を譲ることになります。
裸の王様ならぬ、裸の社長
裸の王様ならぬ裸の社長とは、10年前に室﨑 敬太氏のセミナーで出てきた言葉です。
経営者は独りよがりで自己評価が客観的評価より高く目の当てられない人物だと言っていました。
社員が社長というのは、社長という籍にいるだけで自分が社長として信用されているかは別問題だということです。
いくら運転手付きのハイヤーに乗っても、こいつのハイヤーも俺らの売上から出ていると思わせてはならないのです。
むしろ、いつか俺もこうなりたい、そう思わせる夢を見させ、憧れる人間にならなければ経営者はスーツどころか下着すら着ることはできないのです。
孤独でも愛される経営者は成功は一生しがみつくことはない
多忙・ハードワークとコンディション調整
人の2倍努力し8割の着地だと成果に大差がでません。
だからこそ10倍頑張り8割で着地する。
そうやって生き抜いた経営者が成功しているのは事実です。
しかし、『俺はお前より100倍働いてきた』とマウントを取れば愛されず、ただの面倒な経営者なのです。
孤独でも人に愛される経営者はいます。
孤独を感じても、周囲の人はその人に感謝や愛を持っているのです。
そんな経営者はしがみつくどころか一生『もっと頼って欲しい』と思われる経営者なのです。
まとめ「しがみつくダサい経営者の生き方」
『しがみつき人生』。一見、成功者のように見える言葉ですが、その中には執着心や古い慣習への固執が潜んでいることもあります。
お金、クルマ、家、人間関係。これら全てを手に入れることは可能でしょうか?しかし、本当に大切なものはこれらよりも前に手に入れるべきです。
経営者が「しがみつく老害」と呼ばれる理由は、新しいアイディアや変革への抵抗や、古い概念への執着があるからです。
政治家も同様に、結局は自分の存在を誰かに見てほしいという欲望がからんでいます。
経営者や社長、顧問としての地位を手に入れている時間が終わり、一般の人間になることへの不安や焦りが生まれているのです。
「老害経営者」は、新しいアイディアやビジョンに頭を傾けず、時代の変化に適応できません。また、権威主義的な態度を崩さず、新しいアイディアや若手メンバーの意見を十分に受け入れません。
自分の地位を死守して、新しい可能性を踏みにじることになります。
テクノロジーの進化やデジタル化に無関心な経営者は、現代のビジネス環境で求められる変化に適応できず、新たなビジネスモデルの機会を逃すことになります。
一方で、豪華な生活や高級品に囲まれることは快適ですが、その中での執着が狭い視野を生み、柔軟性を奪っているかもしれません。
「ぶら下がる金持ち経営者」は、お金を持ちながらも他人に嫌われる存在となります。
会員制クラブや高級な組織に所属することで、上下関係が生まれ、自分の席を譲りたくない気持ちが芽生えます。
しかし、このような執着が経営者としての成績を阻害することもあります。
「裸の社長」は、経営者自身が自己評価を客観的に見ることが難しく、自分の地位に頼り切っていることを指します。
他者との比較ではなく、自身の成長や他者への感謝を大切にし、謙虚な姿勢を持つことが求められます。
「孤独でも愛される経営者」は、多忙でハードワークを重ねつつも、周囲に感謝や愛をもたらす存在です。
お金や成功に執着せず、人間性や柔軟性を大切にすることが、真の成功と幸福につながるのかもしれません。