自己破産しない『 見栄とプライド』の経営者の世界

自己破産しない『 見栄とプライド』の経営者の世界

自己破産しない『 見栄とプライド』の経営者の世界

みなさん、こんにちは。

滝枝芳郎です。

今日、珍しく不愉快な電話がかかってきたので、その不愉快すらもプラスに変えてしまおうと原稿を書き始めました。

内容は一部省略しますが、脚色ありません。

滝枝さん、少しだけまた用立ててもらえませんか?

クルマを事故してしまい、オーバーローンして購入したクルマの残債を消したら、年を越せそうもないんです。

300万円貸してほしいと電話が掛かってきました。

今日はそんなところから話を進めていきます。

▷▷▷なぜ普通に生きていて『自己破産』するのか

自己破産しない経営者の見栄とプライド

「少しだけ」が300万円?『また』が気になる経営者

この人は、地方で飲食店を経営し、思い切り失敗した人です。

私は経営者の端くれとして、『失敗は成功のもと』だと思っているので事業の失敗はむしろご苦労でしたね。という捉え方です。

その人には自宅の所有権を一部担保にということで2000万円ほどお金を貸しています。

現在一円も返済されていません。

そして、私はお金を貸す仕事はしていません。

そんな経営者の『少しだけ』の借り入れの要求額が300万円。

さらに、一円も返済していないのに更に借り入れを要求してくる。

経営者として終わったと判断しました。

自己破産しない『 見栄とプライド』を持つ経営者

借金7000万円で贈与税の延滞支払い責任3000万円の経営者

贈与税は恐ろしいほど、絶対に払わないといけないお金です。

自己破産しても消えないのが、税金です。

子供も2人いる、その経営者は今、私から300万円を借りてどうやって返す気なのでしょうか。

自己破産しない経営者の理由がわからない

借金1億円超え、年商1200万円粗利益400万円の経営者

私は単純に思います。

借金が約1億円あって、収入が年間400万円以下なら自己破産をするべきだと。

なぜ自己破産しない、理解に苦しむ経営者

まず、ポイントは自己破産を念頭に入れていないことがまず、不信です。

1億円の返済目処がないにも関わらず、結局その経営者は地方という土地柄(商売がうまくいっていないように見えてはいけないという考え)もあり、中古車で現行のメルセデスベンツのCクラスを購入しているのです。

私は、ベンツを買うより子供2人の将来に迷惑がかからないように考えるのが一流の経営者だと思います。

芸能人でもないのに、見栄やプライドでいくらのお金が生まれるのでしょうか。

自己破産しない『 見栄とプライド』を持つ経営者

自己破産は負けじゃない

私自身はまだ、自己破産をしたことがありませんが、自己破産は負けでもなければ人生の終わりでもありません。

もっといえばリスタートを切るきっかけだと思います。

私の回りは自己破産をしたのち、幼い子供3人を様々なアイディアやアドバイスを受け大学まで卒業させ、今では立派に再起した経営者を知っています。

その人以外にも、多くが自己破産や、会社を潰すという経験をしているのです。

周りの目を気にして借金を重ね、見栄やプライドで借金を更に大きくさせる。

そんな負のサイクルには絶望的な結果しかありません。

私が思う一流の自己防衛と自己破

私は前述通り、自己破産をしたことがありません。

この世の中何があるかわからないので、私が数年後自己破産を考える日が来るかもしれません。

可能性は低いですが、少なくとも今日の電話口の経営者みたいなことになる前に私は自己破産します。

しかし、私はベンツに乗るよりも見栄やプライドよりも大切にしたいものがあったので、自己破産までいくことはもうないと思います。

それだけのリスクヘッジを多く重ね、防衛に資金を使ってきました。

そのため、私の周りの経営者よりとても質素な生活をしています。

その代わり従業員の当面(現在10ヶ月)の給料を一括で支払える分と親への貯金、自分の資産として、不動産と株式や信託を合わせると、自己破産をするには余程のことがないかぎりありえない状態をこの数年間で作ってきました。

経営者として『見栄やプライド』よりも大切にしたいもの

それは、『自由』です。

誰になんて思われても私は、『自分の自由』を最優先にビジネスを作り上げてきました。

その自由を守るためことは、私一人ではできないのです。

その自由を守るためには、まず安心して働いてもらえる環境を作ることが経営者としての責任だと思っています。

その結果、お客様の満足度に繋がっていると思っています。

自己中心的な考えだと言われてもそれも、聞き流します。

なぜなら、自己中心的ですがビジネスの私の根底にあるからです。

自己中心的な生活ができず、自由もなければ私は経営者をしている意味が半分以上なくなります。

それくらい私は、自由を求め続けて生きています。