無能と呼ばれる、自覚した人が読む記事

無能と呼ばれる、自覚した人が読む記事

能力や才能がないこと。役に立たないことを無能を言います。

何をしてもパッと成果が出せず、何もかもがうまくいかずに周りに取り残されていく。

そんな人生に飽き飽きしている人というのは意外と多くいます。

自分が無能だと思うか。

他人から無能だと思われるか。

どちらにせよ、自分という人間の可能性に蓋をしているだけかもしれません。

無能と呼ばれる人の代表的な例

  • 記憶力や問題解決能力が乏しい
  • 人格障害
  • 会話が成立しない、ホウレンソウができない・しない
  • すぐに諦める
  • 自己主張だけが激しい

こんな人たちが社会では無能と呼ばれやすいです。

しかし、カリスマ経営者や億万長者も実は無能に該当する例が多いのです。

  • 記憶したいことしかしない
  • サイコパスと言われるほどの冷酷さ
  • 精神疾患と診断されているケース
  • 会話が成立しない
  • 自分の意見をしっかり述べる

何かとは紙一重ということに似ていて、ほんの一部視野を広げ、考え方を変えるだけで人生を変えることができるポテンシャルを持っていると言えるのです。

しかし、この記事が勇気づけをするために書いているのではありません。

綺麗事抜きにどうすれば、無能から有能へ進化・変化することができるかを考える必要があるのです。

無能と判断する側になるか・判断される側になるか

有能か無能かというのはそもそも、目上や年配・上司からの判断となります。

さらに深刻化すると同僚、そして部下までもが「この人は無能だ」と判断するのです。

しかし、有能か無能かなどというジャッジをする時点で失礼に値すればそもそも無能というレッテルは外れるのです。

無能と評価される前に一つだけ結果を出す

一発屋と言われても構いません。

1回でも大きな結果・成績を残せば無能などと呼ばせることはなくなるのです。

なぜなら、呼べないからです。

小さな成功や結果を積み重ねて、人は能力差をつくっていきます。

つまり大きな結果や成績を残せば、比べられる器が変わるのです。

もっと言えば、超富裕層とよばれるカテゴリーの人たちの中で、「こいつは無能だ」と呼ばれても、サラリーマンには到底敵わないだけの経験や判断力・知識を持っていることが多いのです。

比べられる世界は自分で選ぶことが重要になってきます。

無能なことを人のせいにする

無能と判断されることを謙虚に受け止めるのも一つの手段です。

この無能という言葉に、拒否反応を示した時点で無能ではなく『負け組』なのです。

正しい判断ができない環境に身を置いてしまった。

そうやって修正をするためには、無能を受け止めるかどうかが重要となってきます。

無能が有能になる瞬間

無能というのは自分のポテンシャルをそもそも活かす場所がない場合も同様の状態になります。

プロスポーツ選手が料理人と料理対決をするようなものです。

そもそも、戦う土俵を間違えないことです。

無能と判断されるのは応援・支援されない人の特徴

無能と呼ばれてしまう人は周囲からの応援や支援が非常に少なく、応援や支援を受ける姿勢や態度でないことが多いのです。

もっと簡単に言えば、「この一言で変わるのに」ということを言わないことで無能と判断されてしまうのです。

無能と呼ばれる人は周囲の期待だけを背負う

無能と呼ばれる人は『綺麗事』が非常に好きだとされています。

どういうことかと言えば、「良い格好をしたがる」「強がる」「虚勢を張る」というようなことです。

「男として・・・」

「僕は・・・」

「何十年やってきた身として・・・」

こんな言い訳をして、プライドを築くと周囲からは期待だけを煽り、支援をされなくなるのです。

「期待に応えたいからこそ、助けて欲しい」

そう素直に周囲に言えるかというわずかな差が「有能」との差なのです。

有能ほど迷惑をかけ、甘える

有能な人というのはお願い上手です。

支援者が多く個人的に人間として魅力を感じる人が多い傾向にあります。

有能な人は小さな面倒や甘えを多くして貸しを作ります。

それを小さなお礼で返しで義理深さと信用を得るのです。

逆に無能と判断する人は、100人にお願いして聞く耳を持ってもらえないようなお願いやどうしようもない状況になってからのお願いが多いのです。

つまり、応援する人や支援したい人の数は周囲に同じだけいても、支援や応援を実際受けられる回数や経験、恩返しする数に圧倒的な差が生まれてしまうのです。

無能は求め続ける

無能と呼ばれてしまう人の惜しいところは、まず自分が成功しようと思う部分です。

自分が成功することでのギブアンドテイクを無視しているのです。

これは強要ではなく、ギブアンドテイクこそがこの経済を回しているコアな部分なのです。

無能は自分に甘く諦めが早い場合が多い

無能でないのに、無能と判断されてしまう勿体ないタイプの人は、自分とその仕事やタスクにマッチングを求めます。

つまり、自分へのやりがいや価値、向き不向きという判断を以上に優先順位高くしてしまっています。

世間一般としては、やりがいや価値、向き不向きの前に、「やるべきことだからする」という常識とストレスがあります。

そんな世間一般の人からは甘えた人間=無能と判断されやすいのです。

仕事を選ぶなら結果が重要

有能な人も仕事を選びます。

しかし、無能とジャッジされない理由は圧倒的な結果を出しているかどうかなのです。

例えば、元メジャーリーガーならば社会人チームのオファーを断ることもできるでしょう。

しかし、社会人野球のチーム選手がプロ野球ではなくメジャーしかオファーを受けないと言えばどうでしょうか。

一度のキャリアが甘えていると判断されるかに差を生むのです。

有能な人の判断の仕方

有能な人は『損して得とれ』という思考が根付いているケースが多く、自分が成功することでのキックバックを実現させる思考と仕組みを考えます。

有能な人と無能な人の差

つまり、

  • ただ100円欲しいという人
  • 100円くれたら110円にして返すという貸金発想タイプ
  • 100円くれたら100円以上の価値ある情報を与える、物販発想タイプ
  • 100円で長年かけて1000円を返す運用主義タイプ

有能な人は短期的な運用実績を求める傾向は低く、むしろ長期的でもわずかな原資が大幅に増えることに興味を持ちます。

利子的発想というのは貸金タイプの発想で、期間を元金に固定があり、10円以上の得がなければ自分はそもそも損をしてしまいます。

物販タイプは最近でいう情報商材や新聞・有料ブログなどがイメージつきやすいはずです。

100円をもらい1000円という原資の10倍をバックする運用主義タイプは生命保険の解約返戻金のようなイメージです。

長年その恩を継続して受けることができ、その期間中に信用を積み重ねさらに100円ではなく1000円を引っ張る環境を作りやすい性質があります。

100円を手元に得るための方法や選択肢が多いなか、お願いだけでどうにかなるという考えが無能と判断されてしまうのです。