醜い人間・喜べる人間の差
人間というのは非常に欲深く、醜い性格を持つ人がいます。
鬱病などを患うと、無欲になってしまうことが辛いと感じる方も多くいると思いますが、一つきっかけとしてこの記事を読んでもらえると嬉しいです。
悲しい人間・醜い人間
私利私欲というのは決して悪いことではありません。
言い方を変えればまずは自己防衛し、戦えるだけの力を備えるという考えができるからです。
しかし、人が困っている時に手を差し伸べないのが私利私欲というわけでもありません。
悲しい人間や寂しい人間というのは、自分が何か被害を被る・損をするということに過剰反応する人だと言えます。
一人でいることや、病に苦しむことが悲しい人間なわけではありません。
人を助けられない人と助けない人
- 知らない人に電車代を貸して欲しいと言われて皆さんはどうしますか?
- 友人にどうしてもお金が必要だと言われたらどうしますか?
- 同僚に家にしばらく置いて欲しいと言われたらどうしますか?
- 恋人に一緒に住みたいと言われたらどうしますか?
少しずつシーンやニュアンスは異なりますが、基本的にはお願いされているという状態で、悲しい人や虚しい人、醜い人は自己防衛本能を過剰に出す人です。
知らない人や友人、同僚・恋人に騙されるのではないか?
そう思い全てのお願いを断る人もいると思います。
損得感情で人と接すると心が疲かれる
損得感情で人と関わるということは、マイナスなことを想像しリスク回避をするということです。
人に騙され、裏切られ、損をすることをイメージし想像した結果、損したくないからギブをしないのです。
それが例えば、
友人に返すまで担保として高級時計を渡しておくと言われたらどうしますか?
同僚に家賃を半分出すから家にしばらく置いて欲しいと言われたらどうしますか?
恋人が自分の親の介護も手伝いたいから一緒に住みたいと言われたらどうしますか?
自分にとって『得』が生まれた瞬間にそれなら良いよ。と思うのは当たり前ですがなりやすいでしょう。
喜べる人は心が健康で幸せな日々が過ごせる
私は、メンタルを患ってから
- 知らない人に電車代を貸して欲しいと言われて皆さんはどうしますか?
- 友人にどうしてもお金が必要だと言われたらどうしますか?
- 同僚に家にしばらく置いて欲しいと言われたらどうしますか?
- 恋人に一緒に住みたいと言われたらどうしますか?
この質問に「すべて良いよ」『YES』というようにしています。
お金があるから貸せる、経済力があるからだろう?と考えた方も悲しい側に偏り始めています。
もちろん、貸せない金額を言われたら断りますが、5000円を貸して欲しいと言われ、2000円しかなければ1000円貸してあげられる気持ちになるかどうかが重要です。
同僚にも自分に得はなくとも、何か事情があるんだろう、と泊めてあげれば心は健康です。
そして、何より感謝され、感謝されることで自分自身も嬉しいはずです。
それこそが喜べる人だと言えます。
「騙される・被害を被るかも」という疑いは必ず相手に伝わる
疑う気持ちというのは相手に必ず伝わります。
疑われた人も被害者意識を持ち、疑う側も被害者意識を持ちます。
これでは冷静に考えると人間関係は成立しません。
しかし、逆に言えば、疑われるかな、騙しているように思うかな?
という私たちのような心配性な人が、「いいよ、いつでも、できることはするよ」と言われたらどうでしょうか?
喜びますよね。
そして、騙されることも承知で善意が勝った場合、当たり前のことなのに喜びます。
これが幸せの循環というものではないでしょうか?
されて当たり前・してもらって当たり前の人間は虚しい心しかない
ギブアンドテイクでテイクばかりしている人とギブばかりしている人、幸福度はどちらが高いかといえば与えている側のギブです。
私たちは生まれてから『してもらう』ことが軸で成長していきます。
赤ちゃんが自分からすることというのはほとんどないため当たり前のことです。
しかし、兄弟がいない限り、後輩や部下ができるまで『してあげる』ことを経験しない人も多くいます。
それが悪い事ではありませんが、『してもらったから、してあげる』という考えが、屈折すると『してもらってないのに、自分からなぜしないといけないのか』という虚しい考え方になってしまうのです。
逆に言えば、なぜこちらが先にしてはいけないのか、という考えもなく、こちらがして返ってこなかったら、損じゃないか、そんな考えを持つ人は最終的に損しかありません。
喜べる人間になれる簡単な方法
最初から大きなトライというは心が疲れます。
これも慣れと順応です。
まずは『挨拶をすること』これが一番早く『喜べる人間』を感じられるアクションです。
おはようございます、と言われて無視する人はほとんどいません。
無視されても挨拶では損した気分にはならないはずです。
これを何日か継続してみてください。
「おはようございます」と先に挨拶される日が来ます。
これこそが自己発信ではない『思いやり』なのです。
挨拶の延長線にあるのが、手紙です。
手紙は時間がないと送り返せない、筆不精などいろいろとありますが、意外にもレスポンスはあるのです。
「筆不精なもので、電話で御礼を」と電話をもらうと嬉しいものです。
損得感情なし、人と付き合うと『してもらうことが当たり前』などと思わなくなってくるのです。